~語彙力薄弱~

やんわり作品レビューなど

レビュー第1.5回 「メアリと魔女の花」の原作を読んでみました

【レビュー第1.5回 ほう......メアリと魔女の花の原作ですか......】

 

【レビュー第1回はこちら ↓ 】 

 

shigetyan1117.hatenablog.com

 

【前回のあらすじ】「映像化するにあたって、原作にはないオリジナルストーリーを追加しました」と語る監督の話を読んだ僕。メアリが「おしい映画」として認識されてしまった理由は、オリジナルストーリーの追加が原因?それとも___。 

 

 さて、文量はさほど多くないこともあり、空き時間を見つけて2,3日で原作本を読み終えた。手軽に読めるのはいいことだと思う(もちろん長い本だって嫌いじゃないよ)。さらに言えば、翻訳された日本語の語感ってかリズム感がすごく好きだ。海外の児童文庫を読んだのはガラスの大エレベーター以来かなぁって。あれもけっこうリズムで読んでく感覚あるし、僕の個人的なツボにはまっただけなのかもしれない。とまぁ僕自身の手に取った感想はここまで。

 

 肝心なのは内容である。読んで思った、なるほど結構違うのだ、と。そして同時に、原作改変した理由はわからんでもないとか思ったのである。

 

 まず登場キャラクターの設定がけっこう違う。というか、ここの変更があったせいで(おかげで?)話の展開が大きく変わっていくことになる。

 

 主人公メアリはやはり状況に流されやすいが、映画よりは自分の意思を持って行動している印象があったので、受け手(メアリ)と受け手(ぼく)が重なった結果起こったジレンマは感じなくて済んだ。「なにやってんだこいつ」って思っちゃうやつね。

 また、映画内でメアリは、知り合いの男の子ピーターを生け贄にすることにより自分の身を守るという最低ヒロインを演じ、さらに観客のヘイトを高めた(※要出典)が、原作では既にピーターは悪役サイドに捕まっていたため、原作で連れていかれたのはネコの片方だった。原作では、起承転結でいう「転」に至るまでまで声帯が神木隆之介の男の子とは関わることがないのである。ましてや人体実験もされない。

 

 なぜ登場人物の関り方やその扱い方(物語の展開)がそうまで違ってしまうのか、それは原作においては「シャーロットおおおばさまが元魔女じゃない」という設定が背景にあるからなのではないかと思う。原作ではシャーロットおおおばさまはただのおおおばさまなのだ。映画オリジナルストーリーとか以前に、下手したら映画自体が、原作とは独立したifルートみたいなものだったのである。間違いなくこれが最大の改変である。

 

 なぜそんな重要な設定が追加され、展開が大きく変わったのか。読み終えてみると非常にわかりやすい。原作は良くも悪くも児童書であり、あれをそのまま映画化したとすれば、映画としては非常に単調なものになってしまったことは容易に想像がつくのである。

 

 原作では 魔法大学からの脱出 → 追ってくる悪役とのデットヒート 

がクライマックスといった具合に書かれている。たしかにデットヒートだけでは映画のクライマックスとしてはすこし味気ないかもしれないわけで、映画化すると決まったことにより、映画映えするド派手な展開が欲しくなり、そこを追加したというのがすごくわかる。痛いほどわかる。だが、それによって情報量の増加が生じるのはあたりまえのことだし、それらを限られた時間でうまくまとめるのはより難しくなってくるわけだ。

 結局のところ(僕個人の感想としては)映画本編は金曜ロードショーを見ている気分というべきか、なんだか物足りないと感じることになったのも事実だ。設定の説明や展開、会話の省略を「魅せるテクニック」として、または文学でいうレトリックとして使っているのかというと、僕はそうは受け取れなかったし。それはただの場面カットと変わらないように思えた。

 ちなみに僕は賛否両論「映画 打ち上げ花火(以下略)」 の見せ方は省略することを美学だとこじつけたものではなく、レトリックの一種だとか思ってる人なので、僕個人の見解を素直に受け止めるのはよしたほうがいいかもしれない。

 

 ともかく、原作に触れてみて、メアリが「おしい映画」になった原因はわかった。痛いほど。しかし、原因が分かったからと言って結果がどうなるわけでもあるまい。僕は「映画 メアリと魔女の花」は原作再現を目的とした映画ではないのだと思った。事実がどうあれ、僕はそう思うことにする。

 それをもっとポジティブに考えれば、メアリと魔女の花という作品は、映画・小説とタイトルは同じだがまったくの別物として楽しむことができるのだ。これって意外とおもしろいことだと思う。楽しみ方だって、小説と映画じゃ全く違ってくるわけだし。いずれも全力でおすすめしたいとまではいかないが、興味があればどうですか、という進め方をしたい完成度だったのではないかと思った。

 

 

 余談なんですが、映画でも原作でも特に触れられなかった設定みたいなものがいくつかあって。あえていえば、ネコって結局使い魔だったのかどうかがわかんないんですよね。使い魔っぽい猫なのか。そこらへん曖昧だったんですよ。

 

 そういうふわふわしたところだけは、原作に忠実だったかもしれない。まぁそこらへんなんてわざわざ考察しても仕方ないし、僕たち受け手に細かいところの解釈が任されることにも、また違った楽しみがあると思うから、これはこれでいいかな。