~語彙力薄弱~

やんわり作品レビューなど

最近やったゲーム「キスベル」の感想 (後編)

 8年前に発売されたゲームをプレイしてみた結果……という話を、引き続き備忘録として書いていく。

 

 今からきっかり7年前、アニメ「D.C.Ⅲ」を見るようになって初めて「2次元美少女」というコンテンツに向き合い始めた私に対し、友人はおすすめのモバイルゲームがあると言って1枚の画像を送ってきた。それが「長津田さん」との出会いである。それはまさしく一目惚れ、さながらオーバーキルといったところであった。

 

 どうやら長津田夕美というキャラクターは、現在も続く「キスシリーズ」において屈指の人気キャラらしい(2020年現在)。大人しそうで整った顔立ち、上から下まで理想的すぎるスタイルの曲線美、ううむなるほど完璧なキャラデザである。しかし彼女はそれだけで形容すべき者ではなかったと、プレイしてみることで改めて思い知らされることとなる。
 頭が良い、顔も良い、スタイルも良い、実家が太い、そして育ちまで良い(ついでに声もいい)。なにもそこまで。と言うべきほどに彼女はハイスペックであり、本来ならば主人公のような人間(頭が悪い、ノリと勢いで生きている、生活力皆無、等)とは対比されるような存在である。

 しかしながら作中では、その対比されるような設定が逆説的に働くおかげで、主人公との関係が恋愛へと発展していくように描かれているのが特徴的だ。

 

 いわゆるお嬢様タイプゆえに俗世間というものに疎い彼女にとって、俗世間を具現化したように振る舞う主人公の姿は、とても異質なものとして写る。序盤での彼女は、その異質さに対し露骨に距離を置くのだが、物語が進むにつれて主人公という存在に対して興味を持つようになっていく様子が見られる。そしてルートに入って、いつのまにか彼女の「主人公に対する興味」は「好意」へと変わっていたことを自覚するのだった......といったところか。

 

 正直な話をすると、「初めて出会ったときから、万が一にもこうなっている(付き合っている)かも、と思っていた」というほど主人公にベタ惚れな彼女であるが、どこらへんで恋愛感情が生まれてたのたかよくわからなかったりする。そういえば映画「君の名は。」の感想でもこんなこと書いた気がする。まぁ本人たちもそれを自覚出来てなかったみたいだし......主人公も気遣いとかうまいところあるし……みたいに割り切るのが吉。考えすぎて忘れてたけど、これエロゲだったんだよな。小説とかじゃないもんな。

 

 しかしこの不釣り合い感が、長津田さんルート最大の問題点となる。長津田さんが完成されすぎていて、くっついたらくっついたでとくに進展させることがないのだ。

 他のヒロインはそれぞれ課題というか葛藤を抱えている。ゆえに付き合った先では主人公が彼女たちの支えになるとか、努力するとか、そういう役割を担うことになるはずだ(※他ルート未プレイ)。

 しかし本ルートはただただ主人公が堕落し、厳しかったはずの長津田さんは「私はいいのよ」「しょうがないわね」を多用するようになる。いやよくないやろと何度か叫んだ。クリスマス会もあっさり終わり(ただしイベントは3ラウンド制で割と長め)、それも無くなってしまった後はシナリオ的にもより冗長なものとなるだけであった。

 そして彼らは、自分たちの関係性がだいぶこじれてきているということを「周囲から自覚させられて」二人で主人公更生への道へ進むことになる。なんか周囲の人たちが世話焼きすぎじゃないかとも思う。付き合ったきっかけにしてもそうだが、付き合った後もやたらと干渉してくるあたり老婆心からなのだろうか。

 でもこうでもしないと主人公と長津田さんは付き合わないんだろうな、と冷静になってしまう自分もいたりする。

 何かシナリオを知ってそうというか、やたらメタい気がするセリフ回しをする元生徒会長とか男友達のことを、私は勝手にゲームマスターやってるだろとか思っていた。

 

 でもそんな長津田さんのイメージの崩壊は、シナリオ的には微妙だったわけだが、いちプレイヤーである私的には悪いことばかりではない。

 厳しくて気高い、でもちょっと魔性。そんなイメージだった彼女は付き合いだすと、必殺技「甘える」を披露してくれる。長津田さんはそんなこと言わない!とか頭では思っていても、こちらとしてはそのギャップに見事にしてやられてしまう。恥じらいながら「好き。」とか言ったり、おねだりしてきたりとか、そういう今まで決して見せてくれなかったデレの部分をさらけ出す。もはや誰だよと。

 そして情事に経験はないけど興味はある。そんな処女信仰の聖典にでも書かれたような彼女の性格設定は、とくにベッドシーンで魅力を発揮する。意外とノリノリで主人公のスケベなノリに付き合う彼女には「どうしてこうなった感」はあるものの、友達関係では見れなかった部分を見ている感じがして、なんだか悔しいがめちゃくちゃドキドキしてしまう。

 とくに初体験時の恥じらいがめちゃくちゃかわいい。個人的には、「えぇ……!?まだ半分なの……!?」などと彼女が取り乱す様子はなかなか見物だ。多分私はそこで「長津田さんはこんなこと言わない」という壁みたいなものが崩壊したんだろう。

 そして後半になるにつれ悪化するバカップルぶり。「いつもこうなんだから、仕方ないわね。」いや仕方ないとかじゃなくてさ~。ルートに入ったらただのドスケベバカップル化するのは予想外であり呆れ果てたが、私的にはえっちなのは嫌いじゃありませんのよ。ムムム。

 

 総じて、ヒロインとして彼女はとても魅力的だ。ルートではその魅力を生かしきれていない感じがして、私的には少し惜しかったが、エロゲってこういう、痒いところに手が届かないものなのかもしれない。完璧を求めるのはよくない癖だ。

 7年前から自分が想像していた長津田さん像はかなり変化した。当時見ることができなかった部分を楽しめたこともあり、たまにはこういうのもありだなと思う。

 

 しかしこうやって長々書いてしまうあたり、たぶん私にエロゲは向いてない。

最近やったゲーム「キスベル」の感想 (前編)

 おめでたき2020年初更新が既に3月、加えて成年向けゲームの話ってのもいかがなものか。と思う一方で、前回が「飛んで川口」だったこともあり、書きたいことを書けてればテーマなんぞブレブレで構わないとも思っている節がある。

 

 ゲームはゲームでも成人向けというジャンル、俗に言うエロゲというものを購入したのは久しい。たぶん3年ぶり2回目ってぐらい。正直、私個人はあんまりエロゲが「得意」ではないのだ。めちゃくちゃ失礼な話なのだが、単調な文と内容の薄っぺらさにモチベーションが負けてしまうことが多くて、そっち方面に手を出すことはあんまりなかった。

 

 それでもキスベルは私が初めて出会ったエロゲゆえ、思い入れが強かった。というより長津田さん(※ヒロインのうちの一人)との出会いに対する思い入れが強いゆえに、プレイする気持ちになれたんだろう。多分これは思い出補正、ないしは思い出バイアスというやつだ。
 本作と出会った当時は「モバイルゲーム」としてその存在を認知していたため、公式サイトを訪れたときまさか18歳かどうか確認されるなんて思っていなかった。長津田さんとはもっとこう、清く正しいお付き合いをするものだと思っていたわけです。当時中学生の私はひどく動揺し、やりきれない衝動をどこにぶつけたらよいものかと教室でゴロゴロとのたうち回ったものです。しかし今回プレイした段階でも、本編における彼女の「(私たちの関係は)清いかしら?」という発言に相当動揺したのは事実だったりするので、いまだに私は処女信仰みたいなものを引きずっているのかもしれない。ともかくヒロインとその脚本については「後編」で触れることにする。

 

 2012年に発売されたこのゲーム。当時、自分とそれの間にはとても高い壁があったわけだが、気づけば既に8年が経過していて、壁はいつの間にか無くなっていた。嬉しいのか悲しいのかわからないけども。

 

 加えて劇中、彼らが赤外線通信を使って連絡先を交換する姿からも、8年という時間の流れを実感させられることになる。連絡はメールか電話。ちょうど2012年は、我が国において様々な面で切り替わりが起こり始めた時期なのだと思う。
 正直な話本作の脚本からは、その切り替わりにうまくついていけてない様子が感じられる。なにもデバイスの話だけをしているわけではない。主人公の暮らしぶり、そしてキャラの掛け合いにも、「学校生活からしばらく離れていた人の想像する学校生活」が描かれているようで、所々つっかかってしまいがちだった。

 本作を通してそこはかとなく感じる「コレジャナイ感」の正体を言い換えるならば、「大人が学生を演じている感じ」とも表現できよう。しかし私も既に学校の「生徒」ではない(そうだったらなかなかにまずい)。製作者と同じ側に立たされてしまっている事実。もし私が「学園モノで原稿を書いてくれ」と依頼されたら、似たようなものを書いてしまう気がするぐらいには「等身大の学校生活」が簡単に解釈できるものではないと知っているつもりだ。

 いっそこのゲームのヒロインがド金髪とかピンク髪の女の子であれば、割とはっちゃけたシナリオや設定にしても違和感なんて残ることはなかったのかもしれない。これはきっと、このゲームのコンセプト「イチャラブコミュニケーション」を、比較的現実路線の学園生活に落とし込んで表現しようとしたゆえに起こったジレンマなんだろう。

 

 で、結局本作はどうだったかというと、ジレンマを完全に無視してそのコンセプト「イチャラブコミュニケーション」をやりきってくれたと思う。その姿勢だけは決してブレなかった。内容が粗いとか文体がどうとか言っても、至極真っ当な学園モノをやりきろうとしたその気持ち、熱意を十分に感じることができた。そこに関しては高く評価をしたい。

 もしかしたら、むしろ下手にリアリティを追い求めすぎないことが「エロゲらしさ」、もとい「本作らしさ」としてそこに在るのかもしれない。キャラクター間で交わされる「また明日ね」というやり取りに愛おしさを感じる瞬間。朝、自分の家に彼女が起こしに来てくれるとかいうシチュエーション。エロゲとして現実を求めすぎず、かつ現実から離れすぎず、その微妙な距離感はいちプレイヤーとして心地よさを感じるところであった。なんだかんだ言ってけっこう楽しませて頂いてたんだなぁと、これを書きながらしみじみ思う。

 学園モノは永遠のテーマでありつつ王道で、それゆえに深い。表現としてどこに個性を出すのか。意外と考えてみると難しい。本作は今一度それを問い直す機会をくれた作品となった。

 

 やっぱり私は学園モノが好きなのかもしれない。

 

 さて、長津田さんを語りたいので「後編」に続きます。

短編エッセイ企画 翔んで川口

 

 川口に関所あるんでしょ?(笑)

 

 あの映画が公開されてから数ヵ月間は、出身地を伝えると大体そんなふうに言われた。だから私もこう返すわけだ。川口に関所はありません。あるのは混沌だけです、と。

 

 混沌の地、川口市。その名を聞けば一定の年齢層は眉を潜めるあの川口。お願い住んで川口市とかいう情けないキャッチコピーで売り出す中核都市。
 関東でのうのうと暮らしているだけでも、その存在を感じることが度々ある。最近ではとある成年向けゲーム※だった。「礼ちゃんって埼玉出身だったよね?」「あぁ、でもわたしが住んでたところは割と都会だったんだぞ……多分」このテキストを読み飛ばしてから時間にして数フレーム後、ダイアログをもう一度確認しわざわざボイスを再生、そして確信した。(設定上)彼女と私が同郷であることを。
 思えばその確信に至るまでは色々あった。東京へのアクセスの利便性だけは一同が誇りに思うその姿勢、奇妙にも大判焼きを「太郎焼き」と呼ぶその特性。これはまさに、わたしの地元「川口」のことで間違いなかろう。
 まさかこんなところで我が郷の存在を感じることになるとは思わなんだ。友達がテレビに写ったみたいなあの感覚。暗転したPC画面には微妙な顔をした私が写っていた。

 

 ともかく混沌とか奇妙な街とかわざわざけなしてみせてはみたが、私はとくに川口が嫌いなわけではない。しかも実際のところ、川口市民としての歴だってそこまで長いわけでもない。
 いうならば私は旧鳩ヶ谷市民。どこだよそれという方には親切丁寧にご紹介したいところではあるが、紹介できるものの持ち合わせが少なすぎるのが憐れにみえる。
 たとえば日光御成街道の宿地だったという栄光をかれこれ400年引きずって生きてきた商店街は、衰退を続ける一方だ。シャッター街になりかけたその一角には怪文書が貼り付けられた謎屋敷がそびえ立ち、一層そのわびさびを際立たせている。
 たいした名物すら持ち合わせていなかった我が地元は、地元工場直送ソースでうどんと野菜を炒めたソース焼きうどんなるB級グルメをプッシュし始めた。あの安倍晋三も「あれ好きなんです」とかコメントしてたが、どう転んだって焼きうどん以上でも以下でもない代物なので、群馬の前橋や秋田の横手に謎の対抗心を燃やす必要はないだろうと私は思う。

 

 そんなんだから、この街は正直なところ、あのままではギリギリだったのだ。市民の総意とはいかなかったようだが、取り込まれることが妥当だったという感じはある。
 吸収合併から逃れるべくと画策された(※諸説あり)謎の改名兼独立運動もいつの間にか消滅し、川口帝国の植民地としていつの間にかその支配下に置かれていた旧鳩ヶ谷市地区は、一応の安泰と安寧の日々を手に入れたのであった。アレクサンドロスの征服記か何か?
 実際、私のところは合併とかそこらへんのことに無頓着な人間が多い(※認識にはたいへん個人差があります)し、子ども医療費の無償化とか福祉サポートも施行されたんだから、まぁ言うことはそんなになかろうや。
 しかし私的には、その恩恵を受けたのは中3のときリレンザ3000円がタダになった瞬間ぐらいのものだが「ありがとう川口」などと感じる余裕などなかった。こっちは高校受験期にインフルかかって熱40°出してたんやぞ。

 

 さて、そんな川口市に今やもうその恩恵を感じることがいよいよ無くなってきた。毎夜バイクが走り回る様はまるで無法地帯だし、猿が出るとかTwitterで流れてくる。
 しかしそれを差し引いてもこのホスピタリティは住んだ者にしか解るまい。この安定感と志の低さ、私的には総合86点。多分探せばもっといい場所なんていっぱいあるが、ほどほどを求める者にはちょうどよい。
 GACKT川口市を指揮してくれれば、足立区ぐらいならいい勝負になるかもしれない。

 

 年金の免除申請に行った時だ。なにかのイベントでそこらへんを出歩くゆるきゃら「きゅぽらん」が私に手を振ってきた。俺はお前を養う金を免除するためにここに来てるんだぞ。それなのになんで……お前って奴は。ゆるキャラがみんなのサンドバッグにされていたって、う○このゆるキャラとか言われてたって、そこには愛がある。多分。ちなみに私はぬいぐるみを買ってやった。愛だよ愛。

 

 さぁここまで本文中に何回「川口」が出てきたでしょうか。「キューポラ数えて君と僕」って言うぐらいだし、数えるのが得意な方はいらっしゃるはずです。

 

 私はコンビニ店員の顔も持つ。「お兄さん、ここらへんの人じゃないでしょ。あたし解るのよ」おおマダム、あんた意外と目ざといな。「そうなんですよ、大学の帰りにお仕事させて貰ってます」さぁ当ててみせろ私の出身地を。マダムは言った。「あたし解るわ、沖縄でしょ」って。やっぱダメだアンタは。出直してこい俺は川口市民だ。「どこ?有名人ぐらいいるでしょ」って?マジかおまえ、ええと…………しらび先生と一緒だぞ。

レビュー第8回 「天気の子」を観てきました。

【レビュー第8回 天気の子】

 

※本項は内容について思いっきり触れて書いております。自己防衛は各自でよろしくお願いします。

 

 いきなり他作品の話を持ち出すのも変な話なのだが、数年前。新海誠という人の作品を見たいと思い立ち、初めて「ほしのこえ」を視聴した私は、スタッフロールで現れる「新海誠」の多さに笑った思い出がある。あれは多分、そのとてつもない熱量に対する敬意を込めた「失笑」だった。とくに数えていたつもりはないが、1画面に最大3人の新海誠を見つけたような気がする。

 ともかくそれに比べたら、今回の「天気の子」ではその名前が画面に写し出される回数はめっきり減った。当たり前の話ですけど。でも、なんだか最前線で戦うクリエイター新海誠、そんな存在感が少し薄くなった気がした。もちろんスタッフロールで名前があまり出なくなったからそう言っているわけではない。

 

 私個人は本作を「新海誠『っぽい』作品」として受け取った。

 

 映像表現、シナリオ、演出。本作ではそのどれにおいても、いつもそこにあるはずの「新海誠らしさ」みたいなものが映画の枠組みとそのエッセンスとしてだけに用いられている感覚があった。つまり、何者かによって「あの人ならこういうの作りそうだな」という解釈をされて作られたような印象が残る。

 今までの新海作品(「君の名は。」を除いた方がよさげだとは思う)にあった独特の消化不良感、これを良い感じに言い換えれば「余韻」と言うのだろうが、本作にはそれがあまり感じられない。または、それを感じられないような見せ方をされていたという気もする。

 物語では話しておかなければいけないエピソードと、そうではないエピソードがあるわけで、そこを絶対知ってるのになんとなくモヤっとした終わり方をさせるのが新海誠らしさだというように思っているのだが、今回のラストでは物語的に案外すんなりと着地した。余韻というより、違和感(特にキャラに対するやつ)を拭えないはずなのに「あっこれで終わるんですね」とか素直に受け止めてしまうやつ。

 実際すんなりと着地したとはいえ、終盤は私たちの価値観からすれば不時着みたいな感じであろう。「君の名は。」に続く娯楽映画のテイストでありながらも、自らの選択について開き直るという終盤はかなり意外なものだ。物語の主人公っぽくない行動であるが、ここでの私は特にそのようなふるまいを期待しているわけではない。物語の結末としては面白いと思う。

 

 ともかく、作風については、「あの人は変わった」とか言われればそれで終わりなわけで、もしかしたらそれが正解なのかもしれない。今はなんだかエンターティメント作品(このカテゴライズは好きではないのだが)を作ろうとしているようにも映るわけだ。私個人は、以前の作品にあったような「私たちに解釈がゆだねられている」あの感じが欲しいと勝手に思ってしまうゆえ、ここまで駄々をこねさせて頂いた。

 

 さて、ここまで「なんか違う」とかいう話をして批判じみた感じになったわけだが、別談批判ばかりでもない。映像表現の手法は以前からの持ち味が発揮されているし、見たかったものは見せてもらっているというわけだ。

 以前から半端でないこだわりがあったのは知っての通りだが、「天気」がテーマなだけあって、光の入り方や雨の降り方がより特異的に、印象的に描かれる。あといつものカメラワーク。地平線を動きの基点にするとか、スケールが大きすぎる「お家芸」をはじめとした描写の数々。今回私が驚いたのは花火。「打上花火、横から見るか?」って。そんな発想があるのか。 

 個人的に感動したのは舞台となった場所の描写だ。池袋や田端、自分にとって見慣れた現実が、違和感なく作品というフィクションに落としこまれている。いつも歩く道をキャラクターが歩いている。こんなに嬉しいことはないだろう。

 あと、各所でCGが使われる場面が目立つようになってきたのは、働き方改革の一環であると思う。どちらも大変だとは思うんですけど、多分前なら作画に踏み切って、アニメーターが死にかけてたはず。

 ほかの書いておきたいところとしては、RADWIMPSの音楽とそれに合わせたように工夫された演出は「夏の青春映画」的な意味では似合ってて、「グランドエスケープ」なんかすごい盛り上がる。が、演出的になんだかありがちに感じてしまうタイミングもあったように思うので、個人的な話、私は新海さんに演出まで仕事してほしかったりする。

 

 ずらずらと書いたが、本作に対しては不満ばかりではない。劇場でこれを見れた満足感はもちろんあった。夏のエンターテイメントとしてはかなりの成功だ。

 それでも本項ではいつも以上に、さんざんわがままを言わせて頂いた。それは私個人として、新海誠氏という名前を見た時、そのクリエイターが作るテレビアニメとは全く違う、受け入れるのに少し苦労するような、もっと異質なアニメが見たいという思いがあったりするからなんだろう。氏が再びエンターテイメントとは言い難いような作品を作ってくれることに、すこしばかり期待していようと思う。

 

 ここまでのお付き合いありがとうございました。Twitter(または質問箱)ではインターネットモノ申すマンをはじめ皆様からのご意見を受け付けております。必ず答えられるとは申し上げられません。引き続きなにとぞよしなに。

 

 ここからは余談みたいなものです。

 メディアで紹介される新海誠氏の経歴のほとんどで、エロゲのオープニングを作ってた頃の話がされていないのは、勝手な話だがなんだか不憫であるように思う。前職でもかなりすごいもの作ってたのだから、世間体を気にしてあれの評価を疎かにするのはいただけない。

 しかし本作、原作者が元々は「そっち」の業界の人間である感じがすごくわかる。これが「異質感」ってやつかもしれない。それが気になった人は多くいたようで、本作はエロゲ版またはそれが移植されたPS2版があったようだった、という感想がめちゃくちゃ回ってきたわけだが「夏シーズンの爽やかな青春恋愛モノと思ったら伝奇モノであった」というこのオチといい、そこらへんをにおわせるキャッチコピーの書き方といい、一昔前のそっちの業界をよく知ってのことだとみえる。確信犯なのでは。

 とか書いたけど私、ちょっとかじったぐらいで00年代に流行ったタイプの「伝奇モノのエロゲ」をちゃんとプレーしたことがなくて。全編通したのは美〇女万華鏡ぐらいしか......あれを伝奇モノと言うのだろうか。

 怒られそうなのでここらへんでやめときます。それでは。

レビュー第7回「ヴェノム」を観てきました

【レビュー第7回 ヴェノム】

 

 巷でそこそこ話題になっている本作を観てきました、と言っても1ヶ月前なんですが。ただでさえ筆が遅いのに、本業の課題に追われて余計に遅くなりました。ブログ11月更新分 ヴェノムのレビュー、やっていきます。


【こんなの】
 好奇心と行動力だけは高い男エディ・ブロックは、世の中のあれこれにズケズケと踏み込むテレビ取材(最初はYouTuberかと思った)で、巷でそこそこ人気を博していた。

 しかしその好奇心と行動力が災いした。宇宙開発で名乗りを上げる「ライフ財団」が謎の人体実験を行っていると聞きつけ、意気揚々と乗り込んでいくエディであったが 大財閥の闇に首を突っ込んだ彼は仕事も彼女も奪われたうえ、自らを「ヴェノム」と名乗る謎の寄生生物シンビオートに寄生されることになってしまう。謎の宇宙開発・人体実験を行う財団の真の目的とは何か。そしてエディに寄生したヴェノムとは何者なのか……。

 

【偏見雑記】
 ~というのが本編中盤までの内容。予告やCMを見てしまえばそれぐらいは大体わかっちゃうのだが、本編ではけっこう時間を使ってそこまでの話もといプロローグを見せてくれる。痒いところに手が届きすぎて湿疹ができたみたいな感じだ、序盤は。実質的主役が画面に不在のまま話が進み スローテンポに退屈し始めた頃、やっとこさその姿を見せてくれることになるヴェノム君。これが重役出勤か。

 そんな本日の主役とばかりに堂々登場したヴェノム君、その有機的な禍々しさはなかなかお目にかかれない部類のCG表現である。エディの全身を覆うのはボディスーツではなく生物的な皮膚であり、それはまさしく異形そのもの、クトゥルフなんたらでも見覚えがある気がする気持ち悪さとカッコよさの両立に成功している、たぶん。そんな怪物が触手みたいなのをグワッと伸ばしたりしてアグレッシブに動き回る姿を見て、そこで初めて「そうそう俺はこれを観に来たんだよ~」とか実感することになるのだ。


 しかしながら、どうもそこが映画としての見せ場であるはずなのになんだか「惜しい」。「グロテスクな表現に配慮している説」とか 「CGに余計なコストかけたくない説」とか理由は色々考えられるけれど、カメラワークの移動とカット割りが非常に多かったり、視界がはっきりしない環境で戦闘したりと故意に見にくくされている印象を受ける。

 おかげで事前の想像以上に短めだったアクションシーンが実質的にはさらにあっさりしたものに感じられるわけでして。最凶バイオレンスアクション!的な宣伝の仕方をされていた作品だけあって、そこらへん個人的には若干物足りなさがあったり。

 でも内心グロテスクな描写に身構えてた部分もあるので、本当のところちょっと安心した自分がいたりもする。なんというか、腹八分目の方が(精神)健康上良いのかもしれない。いやあの予告観たらとても初心者向けとは思えないじゃないですか。PG-12作品にはキングスマンGCに騙された過去があるんだ、私は。


 まぁ公開後には宣伝方法が一転して、ヴェノムはカワイイ路線とかカップリングさせて腐女子受けを狙う路線になったのもたいがい変な話だと思う......。が、実際の本編では割とそれを感じる瞬間がけっこうあったりするから、断じてそれらの宣伝は「嘘予告」なんかではない。

 ヴェノムはエディの体調や人間関係にいちいち気を使ってくれたりする世話焼きおばさんっぷりを見せつけたかと思えば、エディが「俺は~」から話を始める時、すなわち「I」から語りだす時、ヴェノムはすかさず「We……」と訂正してきたりもする。そういうところ抜かりないよね。通常時二心同体の彼らにとって、一人称は「We」なのだ。センスが光る。「私がアイアンマンだ」にオマージュを捧げる「俺たちがヴェノムだ」というセリフはアツいだけじゃなく、や○い文化的な視点から見たってそれは完璧すぎるものなのでは。一応断っておくと、シンビオートに性別はないらしい。


 さて、そろそろ話をまとめる努力をしてみる頃合いである。本作は、確かに序盤のテンポは良いとは言い難いが、基本的にはノリと勢いで押しきろうとする姿勢が実に小気味良いものだった。とくに映画中盤以降のプッシュはすさまじく、キャラ的にブレブレな登場人物と粗の多い設定に振り回されながら、スケールの大きいようで意外と小さいバトルを繰り広げる……。ええ、これでもだいぶ褒めてるつもりなんですけれども。

(※アメコミ原作に設定云々の話をするなよ、と言われそうだが、劇中内の設定矛盾とか気になる点はあったので、もう少しそこらへんをフォローして欲しかったりした。)

 ともかく本作というものは(関係者には大変失礼な話だが)「考え抜かれたシナリオ」って感じではない。内容だけ聞くなら硬派っぽいが、やってることは実際ソフトだ。あんまり深く考えずに勢いに身を任せて気楽に観れる、こういうジャンルの映画にしては珍しい仕上がりである。ポジティブに考えれば、長所と短所は表裏一体だったってわけだ。そういう軽いやつって、観るの楽しいじゃないですか。私は好きですよ。

 

.....本作の出来に関して、多少テンポが悪いのは抜きにしたうえで往年の名作(?)「コマンドー」みたいなところがあるように感じたのは私だけだろうか。あれを最初に観たとき、当時の私はたぶんヴェノムを観た今と同じ感覚だった。

 つまりそれは「なんだこれ、面白いじゃん」という、とても平べったい感想なのである。 

 

 

 今回はここまで。 ありがとうございました&お疲れさまでした。

 年内にもう一回更新したいですね......。

レビュー第6回 「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」を観てみました

レビュー第6回「フィフティシェイズオブグレイ」

 

※本記事では18歳未満の視聴が禁止されている作品について扱っています。たいそうな話をしているわけではありませんが、念のため苦手な方や対象年齢外にあたる方は閲覧をしない方がよいと思われます。

 

 

 とくにこのブログで私は純真無垢(カマトト )ぶる必要はないと思うゆえ書くのだけれど、18歳になってから~というか むしろなる前から、ビデオやゲームや本にマンガなど成人向けコンテンツにはそれなりに触れてきてしまった私なのだが、今まで18禁映画を観たことはなかった。Vシネマだって「濡れ場」があってもR ‐ 15指定だったし、ましてや企画モノAVなんてここでは論外とする。

 ともかく本作、未体験のジャンルを開拓してくれた作品という意味合いでは、私にとって「処女作」となった、とかいう悪ノリもこの記事では許されそうな気がする。つまりここまでは「前戯」である。

 

【こんなの】
 大学卒業を間近に控える女子大生( イケイケってわけではない )「アナ」は、大企業の若手CEOでどこか冷血な男「グレイ」と偶然の出会いを果たす。どこかぎこちないやり取りをするうち 2人は互いに興味を抱くが、彼への憧れを募らせるアナに対し「僕は恋愛はしない」と冷たく彼女に告げるグレイ。そして彼は謎の「契約」をするようにアナへ持ち掛ける……。


 原作は女性向け官能小説。なるほど、平凡な女子大生のお相手は大企業の若手社長という巷で流行りのカップリングにも頷ける。
 程よくマッチョで頭もキレる金持ちとかいうハイスペックイケメン。でも彼は女性を従属させて性的興奮を覚える野獣系だったからもう大変!!一体私、これからどうなっちゃうの~!?って感じだ。

 そう、本作フィフティシェイズ・オブ・グレイは3部作のシリーズ構成のうちのひとつであり、1部である本作では二人の出会いとその関係の進展が描かれている。しきりに「契約」を持ち掛けるグレイに アナは困惑し、当のグレイ自身にも迷いが生まれ始める……ってこれ進展って言うのか?いや彼らにはそれが必要なんだよたぶん。そんなわけで私も続きが気になるが、本記事では本作の話だけを扱ってみる。

 

 本作の見所として、まず丁寧な心理描写に注目してみたい。といっても 彼らはお互いにそこまで熱心に恋の駆け引き的なものをしている作品ではない( 現時点 )ゆえ、セリフにこもる感情よりも、表情や仕草にその丁寧さは投影されることになる。わかりやすいところだと、グレイの所持する様々な性具を見たアナが、困惑しつつも笑みを浮かべたシーンとかがいいだろう。彼氏が持ってたハードなエロ本を見つけた彼女の反応のそれっぽさが現れているのでは。

 

 そしてその心理描写の丁寧さというものは、ボディランゲージにも当てはまる。すなわち見所2つ目はもちろん「セクシャル描写」である。指先の動きから呼吸の合間の喘ぎまで、本能的なものと感情的なものが入り混じってるように見える。それには役者の演技力はもちろん必要とされるが、カメラワークの影響が非常に大きい。

 企画モノAVとかVシネマとかと本作を一緒にできない点もそれだと思う。ポルノとは違う、理由の存在する行為としてのセックス、すなわち「物語上必要となるセックス」を我々に見せつけてくれる。どうだこれがR指定映画だ!と言わんばかりに。

 そして、そこで際立つのがフェティシズムである。体に陰影をつけて写したり、水を滴らせたりすることにより、映像がより艶めかしくなる……気がする。こういうの映画っぽい(映画だけど)映像で観るとなんか背徳感がすごいんですよ。というかこの話って、思いっきり低次元にすると「水着の女性にオイル塗るとエロく見える」とかそういう話なのかもしれない。

 

 個人的にお気に入りシーンが「グレイがグラスから氷を取り出し、そのまま乱暴に目隠しをされたアナと口付けを交わす。そしてグレイは唾液を絡ませた氷を咥え、彼女の肌で滑らせる……」的なところ。これは完全に作り手のフェティシズムが丸出しになってて、趣味の領域だと思う......いやそのプレイが界隈で一般的なのかどうかは知らないけど。

 

 さて、そんな本作だが 私はグレイがアナの処女を奪うシーンだけは気にくわない。乱暴すぎて若干レ○プっぽいし、なんか都合が良すぎるのでは?とか思うけれど、女性向け官能小説ってこんなもんなんだろうか。私がこういうジャンルで昔読んだのは「結婚したのか……?俺以外の奴と……?」って感じの作品だった記憶があるだけなので、こちらもなんとも言えないわけだが~ううむ、こういうこと語ろうとすると多方面に渡る経験不足が露呈するよね。

 

 とまかくまとめをすると、本作だけでは話が中途半端すぎるので、前述したように細かい点の評価はできるとして、本筋の評価をするとなると「微妙」としか言えない。3作品全て観るまで~というか少なくとも次を観るまでは人にオススメするべきかまだ決心がつけられないのだ。ここで人に何か言うとすれば「たまには過激な恋愛映画ってものを観てみるのもいいかもしれない」としてみることにする。きっと感性の刺激になることだろう。

 まぁ自分がその映画にターゲットとされてないと思ったりするけど、どんな映画にも興味だけは幅広く持っておきたいのである。その方が世の中面白い。まぁ今回はこの辺で。

 

 私は今度ジョン・ウィックを観たいと思う。が、次回のレビュー内容がそれになるかどうかは未定です。気分で変わるので。いや下書きもいっぱいあるんですけども……。

 

 

余談:日本語吹き替え版だとグレイの声優が津田健次郎である。社長が社長の役を演じるのは狙ってるのかと思ったりする。

 

活動再開のお知らせ

 お久しぶりです。

 なんといつの間にかブログを開設して1年が経っていました。懐かしのレビュー初回「メアリと魔女の花」が、予想通り1年越しでテレビ放送されて私は満足ですとも。スタジオポノックの今後の発展にうっすら期待することにします。

 

 それはさておき、私がブログを更新しない半年の間に、色々なことがありました。

 ワカンダでは内乱が起こり、地球は再びカイジュウに襲われ、アベンジャーズは約半分になり、キングスマンは本部が壊滅、マフィアの運ちゃんは警察に捕まり、デッドプールはケーブルと和解、ヒュージャックマンはサーカスを立ち上げ、アントマンとワスプは○×※~たぶんそれぐらいですかね。

 

 色々映画は観ていたんですが、趣味の偏りや諸事からまとまって文を書くことをしなくなってしまいまして。通勤・通学途中に下書きしては放置するを繰り返した結果、下書きが6件も存在する事態に。全くモチベが上がらずにぐずぐずしていたら半年が経っていました。

 

 こうやって長々書いたので遂にブログ退会かと思われるかもしれないんですけど、残念ながら本記事は「この度再開させてもらいます」という旨を伝えるために書いています。期待させてすみません。

 目標は「月最低2回更新」。通勤・通学のお供はもちろん、天井のシミを数えるほど暇なときに、私の駄文はどうですか。といった感じで引き続き売り込んでやって参ります。スタンスだって変わりません。こんな映画観たんだけどさぁ、っていう話を中心に、色々だらだら書くだけです。

 

 さぁ、平成最後の夏とやらも終わってましたが、私はそんなんどうでもよいです。お互いに楽しくれればそれでよいのです。はりきってやっていきましょう。

 

 予告しておくと次回のレビューは「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」。3部作の1作目なんでいろいろ中途半端だし、ちょっとアレ(映倫的な事情)なんですけど、書きたいことはいろいろあるので近日中に上げます。よろしくおねがいしますね。