~語彙力薄弱~

やんわり作品レビューなど

短編怪文書 流さないそうめん

短編不条理SF奇譚

流さないそうめん

 

「この店、そうめんが流れてないってのは本当なのかな」

「ここまで来てそんなこと言うのかよ、恥ずかしいだろ。いいかお前、ここは『そういう店』なんだって。」

 そう言って友人は、僕にぐいと週刊紙だかなんかの切り抜きを無理やり手渡した。

 

 「次に来るのは『流さないそうめん』!?そうめんのトレンドを探る!」

 時は2525年。"似非"日本文化は、ここ数百年の間で、原典である日本人の想像を遙かに超えるレベルでさらに巨大なコンテンツとして成長してきた。それに伴って肝心の中身は複雑怪奇を極め、いわば文化の魔改造が横行していくかたちとなった。その代表格が「そうめん」である。かつての人類が「寿司」を食べるために「回転寿司」なるもの、今となっては寿司が回るのか皿が回るのか、よもや座席が回るのか想像もつかない、わけのわからぬ飲食店をたびたび利用していたというのは有名な話であるが、現代においてそのわけのわからぬ複合エンタメ的な飲食店というポジションは「そうめん」という麺類が奪っていったのだ。今世紀は「流しそうめん」が外食チェーンの基本形のひとつとして位置づけられたのである。

 スライダーのようなレーンに沿ってそうめんを流し、客が自由にそれを取り、食す。これは飲食店の革命であった。人件費をはじめとした諸所のコストは低下し、その回転率の高さは経営面でも評価され、そして食べ物が すう と目の前を流されていくという言語化不能な「面白味」というエンターテイメント性を獲得した「流しそうめん」が、流行らないはずはなかった。事実、流行ったではないか。ファストフードが撤退し、その跡地に「流しそうめん」ができるなんて光景もよく見るようになった。

 今や街のそこらじゅうに「流しそうめん」が乱立し、有名店で修業したものが新しい派を開き、さらに信者を増やしていく。流しそうめんにより世界は繋がっていく。

 それによって、そうめんは世界に誇る日本の文化であるとよく言われるようになった。しかし今評価されている「そうめん」は複合文化の集合体でありいわばキメラであることを知るべきである。そうめんは元の姿を失いつつあるだろう。

 だからこそ我々は原点に立ち返り、流さないそうめんを求めるのである。

 

「この記事、ただの『流しそうめん』アンチの話にしか思えないなぁ」

「でも実際、俺たちもう『流しそうめん』は飽きただろ?だからこうやって敢えて『流さないそうめん』に来たんだ。けっこうな老舗らしいぜ、ここ。」

 僕たちが来たこの店は、時代に逆行する形でわざわざそうめんを流さずに提供するということで評判があるようだった。そうめんを流さないことによってコストの増加、エンターテイメント性の欠落があることは容易に想像できる。しかしそこに日常とかけ離れたレトロな雰囲気が演出されていると噂の「流さないそうめん」。店内は撮影禁止で、その実態は評判でしか掴めないという神秘性に、多くの人が集う。

 店の名前は「そうめん霧龍」。和を意識した作りの建物は、なるほどすっかり名店の風格だった。数人の客が距離を保って一列に並んでいるなかで、そうめんマニアである友人のうんちくを聞かされたり、携帯していた電子機器をいじったり、そうこうしている間に順番がやってきた。そうめんは流さないのに回転率は割といいようだ。

 ここまでくると僕もそれなりにはワクワクしてきたわけだ。未体験のものに向き合う時に感じる、少しの怖気と高揚感に胸を高鳴らせ、ガラガラと引き戸を開けて店内に足を踏み入れる。さて、流さないそうめんとは一体どんなものなのか。

 

 

しかし、そうめんは流れていた。

正確には、客の周りを囲むように設置された長いベルトコンベアの上を、皿に乗せられたカラフルなそうめん(1680万色)が次々に流れていく。

客はそれぞれ好きなものを選び取って、つゆの入ったお椀にキャッチアンドリリースして黙々と食している。

 

「いやこれはどう見ても『流しそうめん』だよな?」

さすがに言ってしまった。ナンセンスとわかっていても。

「おい何言ってんだお前、どう見てもこれは今ではなかなか見れねぇ『流さないそうめん』だろ、すげぇよ」

「いやでもさ、これってそうめんが……客の周りを流されてるわけだから……『流しそうめん』になるんじゃないか?」 

「は?そうめんが流れるレーンなんてどこにもないだろ。見ろよこのレトロなベルトコンベア。そうめんが回ってるだけでワクワクしちゃうよな」

回っている?これは流れていると言うのではなくて?僕はここで、ようやくこの大型機械の仕掛けに気づいた。奥の人間が皿にそうめんを乗せ、ベルトコンベアに乗せている。轟音を響かせ動くこの機械の正体はこれは大昔の日本文化「回転寿司」をリスペクトした「回転そうめん」であった。

 

「いや流してるじゃん、そうめん」

もう僕はそれしか言えなかった。

「どうですかうちの『回転そうめん』は。初期費用はそこそこかかっても、運用コストは安く済む。しかもそうめんが流れるんじゃなくて回るって。お客さん的には楽しいでしょう。うちの先代からこの機械はずっと受け継がれてきたってわけよ」

店の奥から、高齢の男性が突然出てきた。

「確かにうちはずうっと昔はね、手延べをモットーにやっとったみたいや。でもうちの先代もね、なんと言うか、時代の『流れ』っつうもんには逆らえなかったんですよ。」

「『流れ』ですか」

そう言うと男性はわざとらしく大きくうなずいた。

時代に流された結果、流すつもりが流されたってことか、そうめんってものは。なんと情けないことか。まぁ友人に流されてここまでホイホイ着いてきた僕が言えることではない。

 

諦めて席に着くと、頼んでもいないのに色とりどりのそうめんがどんどん流れてきた。どれにしようか、と考えるうちに通りすぎていく。

 

この店のスタイル、流されやすい僕にはピッタリだと思った。