~語彙力薄弱~

やんわり作品レビューなど

レビュー第8回 「天気の子」を観てきました。

【レビュー第8回 天気の子】

 

※本項は内容について思いっきり触れて書いております。自己防衛は各自でよろしくお願いします。

 

 いきなり他作品の話を持ち出すのも変な話なのだが、数年前。新海誠という人の作品を見たいと思い立ち、初めて「ほしのこえ」を視聴した私は、スタッフロールで現れる「新海誠」の多さに笑った思い出がある。あれは多分、そのとてつもない熱量に対する敬意を込めた「失笑」だった。とくに数えていたつもりはないが、1画面に最大3人の新海誠を見つけたような気がする。

 ともかくそれに比べたら、今回の「天気の子」ではその名前が画面に写し出される回数はめっきり減った。当たり前の話ですけど。でも、なんだか最前線で戦うクリエイター新海誠、そんな存在感が少し薄くなった気がした。もちろんスタッフロールで名前があまり出なくなったからそう言っているわけではない。

 

 私個人は本作を「新海誠『っぽい』作品」として受け取った。

 

 映像表現、シナリオ、演出。本作ではそのどれにおいても、いつもそこにあるはずの「新海誠らしさ」みたいなものが映画の枠組みとそのエッセンスとしてだけに用いられている感覚があった。つまり、何者かによって「あの人ならこういうの作りそうだな」という解釈をされて作られたような印象が残る。

 今までの新海作品(「君の名は。」を除いた方がよさげだとは思う)にあった独特の消化不良感、これを良い感じに言い換えれば「余韻」と言うのだろうが、本作にはそれがあまり感じられない。または、それを感じられないような見せ方をされていたという気もする。

 物語では話しておかなければいけないエピソードと、そうではないエピソードがあるわけで、そこを絶対知ってるのになんとなくモヤっとした終わり方をさせるのが新海誠らしさだというように思っているのだが、今回のラストでは物語的に案外すんなりと着地した。余韻というより、違和感(特にキャラに対するやつ)を拭えないはずなのに「あっこれで終わるんですね」とか素直に受け止めてしまうやつ。

 実際すんなりと着地したとはいえ、終盤は私たちの価値観からすれば不時着みたいな感じであろう。「君の名は。」に続く娯楽映画のテイストでありながらも、自らの選択について開き直るという終盤はかなり意外なものだ。物語の主人公っぽくない行動であるが、ここでの私は特にそのようなふるまいを期待しているわけではない。物語の結末としては面白いと思う。

 

 ともかく、作風については、「あの人は変わった」とか言われればそれで終わりなわけで、もしかしたらそれが正解なのかもしれない。今はなんだかエンターティメント作品(このカテゴライズは好きではないのだが)を作ろうとしているようにも映るわけだ。私個人は、以前の作品にあったような「私たちに解釈がゆだねられている」あの感じが欲しいと勝手に思ってしまうゆえ、ここまで駄々をこねさせて頂いた。

 

 さて、ここまで「なんか違う」とかいう話をして批判じみた感じになったわけだが、別談批判ばかりでもない。映像表現の手法は以前からの持ち味が発揮されているし、見たかったものは見せてもらっているというわけだ。

 以前から半端でないこだわりがあったのは知っての通りだが、「天気」がテーマなだけあって、光の入り方や雨の降り方がより特異的に、印象的に描かれる。あといつものカメラワーク。地平線を動きの基点にするとか、スケールが大きすぎる「お家芸」をはじめとした描写の数々。今回私が驚いたのは花火。「打上花火、横から見るか?」って。そんな発想があるのか。 

 個人的に感動したのは舞台となった場所の描写だ。池袋や田端、自分にとって見慣れた現実が、違和感なく作品というフィクションに落としこまれている。いつも歩く道をキャラクターが歩いている。こんなに嬉しいことはないだろう。

 あと、各所でCGが使われる場面が目立つようになってきたのは、働き方改革の一環であると思う。どちらも大変だとは思うんですけど、多分前なら作画に踏み切って、アニメーターが死にかけてたはず。

 ほかの書いておきたいところとしては、RADWIMPSの音楽とそれに合わせたように工夫された演出は「夏の青春映画」的な意味では似合ってて、「グランドエスケープ」なんかすごい盛り上がる。が、演出的になんだかありがちに感じてしまうタイミングもあったように思うので、個人的な話、私は新海さんに演出まで仕事してほしかったりする。

 

 ずらずらと書いたが、本作に対しては不満ばかりではない。劇場でこれを見れた満足感はもちろんあった。夏のエンターテイメントとしてはかなりの成功だ。

 それでも本項ではいつも以上に、さんざんわがままを言わせて頂いた。それは私個人として、新海誠氏という名前を見た時、そのクリエイターが作るテレビアニメとは全く違う、受け入れるのに少し苦労するような、もっと異質なアニメが見たいという思いがあったりするからなんだろう。氏が再びエンターテイメントとは言い難いような作品を作ってくれることに、すこしばかり期待していようと思う。

 

 ここまでのお付き合いありがとうございました。Twitter(または質問箱)ではインターネットモノ申すマンをはじめ皆様からのご意見を受け付けております。必ず答えられるとは申し上げられません。引き続きなにとぞよしなに。

 

 ここからは余談みたいなものです。

 メディアで紹介される新海誠氏の経歴のほとんどで、エロゲのオープニングを作ってた頃の話がされていないのは、勝手な話だがなんだか不憫であるように思う。前職でもかなりすごいもの作ってたのだから、世間体を気にしてあれの評価を疎かにするのはいただけない。

 しかし本作、原作者が元々は「そっち」の業界の人間である感じがすごくわかる。これが「異質感」ってやつかもしれない。それが気になった人は多くいたようで、本作はエロゲ版またはそれが移植されたPS2版があったようだった、という感想がめちゃくちゃ回ってきたわけだが「夏シーズンの爽やかな青春恋愛モノと思ったら伝奇モノであった」というこのオチといい、そこらへんをにおわせるキャッチコピーの書き方といい、一昔前のそっちの業界をよく知ってのことだとみえる。確信犯なのでは。

 とか書いたけど私、ちょっとかじったぐらいで00年代に流行ったタイプの「伝奇モノのエロゲ」をちゃんとプレーしたことがなくて。全編通したのは美〇女万華鏡ぐらいしか......あれを伝奇モノと言うのだろうか。

 怒られそうなのでここらへんでやめときます。それでは。