~語彙力薄弱~

やんわり作品レビューなど

近況報告:調子が悪いという話

先日の例の件以降、1ヶ月ぐらい普通に暮らしていたはずの私であったが、突然体調不良に見舞われて倒れ、そこからまた既に三週間が経過した。検査を受けるもなにも問題は見つからず、原因は過労であるとの見方が強い。

 

誕生日プレゼントに何が欲しいかと母親に聞かれたので、今欲しいもの?全く無いけど……養命酒かな などと述べたところメチャクチャ怒られた。しかし体調が悪いものは悪いのだ。しょうがないだろと。こんなに虚しい誕生日はないななどと言ったのは私の父だ。そりゃ家帰ってきて全てが情けなくて泣いてるんだから、壊れた家電みたいな扱いをされるのも仕方ないといえる。

 

どうやら私は、いわゆる「自律神経失調症」になってしまったようだ。症状は動悸、発汗、めまい、ほてり、頭痛、胃痛、腹痛、下痢、吐き気、ふるえ、筋肉痛、喉のつまり感、息切れ、食欲不振、全身倦怠感など(引用:自律神経失調症は、いろいろな症状が起こる - 養命酒製造 https://www.yomeishu.co.jp/mibyo_kaizen/jiritsushinkei.html)

 

いや症状多すぎるだろ。よくばりセットか?と言いたいところだが、実際これはとても正しい。常時体力最大値低下の大幅なデバフをかけられながら、これらの症状が目まぐるしくコロコロ変わるのだ。いや目回ってるのは事実ですけども。

 

私の体感的には、今日の症状は何かな?というデイリーガチャを回してるといってもいい。レアリティ的には、腹痛ぐらいで済む日はSSRって感じだ。腹痛ぐらいは慣れてるけど後は全部「死ぬかもしれん」という不安感がぬぐえなくなるのでダメです。

 

あと、情報処理能力のキャパがとても落ちた。買い物に行くことの労力が、体力低下のせいだと思ったがそれは半分間違いである。これは情報に酔うと表現してもいいかもしれない。本屋に行っただけで疲れたし、ドンキではもう倒れそうになった。スーパーマーケットはしばらく行きたくない。

 

このままでは引きこもりまっしぐらだ。これの改善のためには、とにかくしばらく休養しましょうとか、生活リズムを戻しましょうとか書いてあることが多いのだ。しかしね、そう言われましても毎日夜間の学校に通いながら、精神負担がかかるとわかっていても就活をしていくほかないんだ、無理ですよしばらく休むなんて。そんなことを考えていると、精神までクるの時間の問題なのでは?とかいういわれようもなく大きな不安に突然襲われるが、それがまた突然けろりと元通りになったりもする。不思議だ。

 

さてこのような場合、自力で治すのが困難であるように思われるのは確かなのだが、なにしろ下手に知識をつけてしまったせいで、どうにか自力で治したくてしょうがない。食事、睡眠、運動、温熱、などなど諸々。これまで使ってなかったマッサージ機(初号機と呼ばれている)を使ってみたり、自分で人体実験をしているみたいなところがあるので、しばらく色々試してみようと思います。バイトだって辞めたんだ、私には時間ができたのです。この件もまた今度まとめようかなとおもいます。

 

ということで、ご心配して頂いている皆様、ありがとうございます。ぼちぼちやっていきますので、しばらく見守っていただけますと幸いです。また、誕生日を祝って頂いた方々、本当にありがとうございました。そして精神が参ってるところに「生まれてきてくれてありがとう」とか言ってくれたライスシャワー、結婚しよう。

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なんかソシャゲのサービス要素としては重たすぎないか?という図

 

弊学での私のあゆみ ~受験編~

思いつきノリと勢いエッセイ企画

弊学での私のあゆみ ~受験編~

 

 気づいたらそこにいたっていう感じでした。

 

 そもそも私は過去の諸々(ここに書くほどのことではない)からスクールカウンセラーへのあこがれを抱きまして、大学ではなんとなく心理の道を目指すこととしておりました。そう、なんとなくと申し上げました通り、将来のプランなんてものはアバウトなままだったのです。心理学部に入りさえすれば人の話を聞く仕事ができると思っていたんですもの、今思えばただのアホ。見切り発車もいいところであります。

 そんな私が通いやすそうな場所にある大学を3つほど選んだのは高3の夏休みが終わったぐらいでありまして、無論当時の担任は呆れかえり、大きくため息をつきました。というのも、担任は私のことを「運動オンチで体育祭で足を引っ張ったかと思えば、女装コンテスト(大コケした)に出演して踊る物好きでありつつ、昨年度はいじめられたり(勘違い)した何かと話題が絶えない変な奴」と思われていたことが推測されますので、元から私に対する期待値は高くありませんでした。そのため「正直お前そこまで頭よくないのでFランも受けておけ」などとヘイトだかアドバイスだかわからん話を私にして頂くことが叶いましたがもちろん丁重にお断りしました。浪人する覚悟もなかったくせに、そういうところだけは意地張ったという。


 そしてTwitterで暴れ回るだけで学力はたいして向上しない日々はあっという間に過ぎ去り、私はセンター試験の日を迎えることとなりました。運命の日、ここがたぁにんぐぽいんとです。

 世界史は正直勉強が間に合わなかったので、爆死してもそこまでのダメージは受けない無敵の人状態でした。国語も比較的得意な分野でしたし、なおかつ漢文は解かなくてよかったのでかなりの余裕がありました。

 しかし問題は英語でした。気づけば試験開始から膨大な時間が過ぎ去り、猫と人間が入れ替わる話に時間をかけすぎたことに気づいた時にはすでに手遅れ。最後の大問をはじめとしたいくつかの問題には手を付けてすらおらず、約75点分が終了15分前まで手付かずの状態だったのです。

 私はそのとき、生々しい「死」を感じました。それまで私が「死」を感じた瞬間は「函館の坂道で滑って転んだとき」「那須岳(?)の山頂で強風に吹かれたとき」「東日本大震災」ぐらいのものでしたので、4度目の「死」の前で私はあまりにも無力でした。このマークひとつふたつで今後の人生が変わってしまうかもしれないのです。この字を書いたり色が塗ったりできる木の棒を左手に突き刺せば棄権を申請することができるのではとの考えが浮かびましたが、気づけば私は”問題を見るより先に色塗りを始めていました”。気が狂ったのです多分。でもさすがに自己採点はしたいと思い、問題番号と回答用紙のそれを照らし合わせ、いかにも適切な回答がなされたように、やり切った感を出して提出しました。生きた心地がしないとはまさにこのこと、友人と帰りがけに寄ったマックではポテトが無味だったことをしっかり覚えているのです。

 

 しかしその夜、結果が出てみるとおそろしいことに、英語の点数は8割の得点率を記録しておりました。5回ぐらい計算し直してもやっぱり8割。6割取れたら調子が良い日だったな~!と騒ぎ喜びイヌ駆け回るといった私にとってそれは異常事態であり、「ロトが一生当たらない呪い」がかけられた瞬間でした。私は今後、ロト6とかそういうやつを買うことはありません。買っても絶対当たらないと思うので。

 とまあ絶好調だか絶不調だかわけがわからず本格的に開始した受験シーズン。担任には採点ミスを疑われ、塾講師にはカンニングを疑われてもめげずに私は勉強を続けましたが、それ以来特に奇跡は起こらず、他の2つの受験校ではいずれも実力相応の結果を出し、見事に不合格を決めることとなりました。

 そして私は、奇跡の英語を引っ提げて合格した令和だったか平成だったか昭和だったかよくわからん大学への進学を決めることとなるのです。

 これを担任に報告すると、「現役合格おめでとう(桜の絵文字)」と書いた下に「お前きっとお経読まされるよ笑」とか余計な一言を付け加えたメールが返ってきました。残念ながら4年間通ってお経は一回も読みませんでした。担任見てるか?

 

 そして入学手続きをしに来た日。門出と言うには微妙な陽気の日。一緒に来てくれた母は帰り際に「この大学にプリンスホテルのレストランがあるらしい」などと意味不明なことを言い出しました。私は困惑しましたが、実際通う私よりも大学のことを色々調べていた母の言う通り、それはあながち間違ってはいなかったのです。"物は言いよう”と言いますので。

 なんだか居心地の悪さを感じながら、私は1000円のステーキをほおばりました。多分おいしかったと思うんですけど、あれ以来最後まで在学中はカレーしか食べに行かなかったので、レストランのことで覚えているのはカレーの味の方ばかりなのでした。

 

次回は入学~在学編です 多分

 

接客打線(1) 1(二)おっさん等「オオン!ワオン!(咆哮)」

1(二)おっさん等「オオン!ワオン!(咆哮)」

 

 かつての私の勤務先には、支払いに電子マネーを使うお客さまが多くご来店なさった。電子マネーとひとことに言ってもいくつか種類があるのだが、圧倒的に多かったのは交通系IC、次点で「WA〇N」が続いた。本体をかざし「ピピッ」だか「ワオン」とか、そういう類の音が鳴れば会計が終わるというそのスムーズさは、老若男女問わず使われる理由の一つとして十分であった。

 

 ここでちょっと本筋とは関係ない話をしたい。「WA〇N」はスムーズさとかポイント付与とかの他に「かわいさ」を売りにしている節があると思うのだが、残高が不足したまま会計した際、あのカードは愛らしい声など聞かせてはくれないばかりか、文字に起こすとすれば「ミ゛゛ーーーーー」あたりが適当であろうけたたましいエラー音が鳴り響くのだ。ぜひともあれをどうにかして頂きたい。「ピー」みたいな小鳥のさえずるような可愛げすらないのだ。もう残高が不足してたら「にゃーん」とかにしませんか?

 

 さてそんなWA〇Nカード、自動レジなぞ縁が無かった私の所属店舗では、作業のほぼすべてが何らかのマンパワーを介して行われていた。

 そこで多く遭遇したのが、店員である私のもとに来るなり「ワオン!!!!」と咆哮する方である。あらかじめ伝えておくがこの咆哮自体に(おそらく)意味はなく、またほとんどの場合支払い方法を私に伝えているだけである。そこで叫んでしまうのは、私への威圧か、それまたりきみか、よもやツンデレか。残念ながらこの傾向は中年男性に多く、世間一般に流布する「キレるおっさん」像のイメージ確立に一役買う形となっている。それらを踏まえると、オッサンのツンデレは誰が得するのか正直わからないので「威圧」と「りきみ」が多くを占めるだろうと思っておきたいところである。

 入社当初は咆哮される度「同じ人間でありながら言語が通じない」ということ自体に恐怖を感じていた私であったが、1か月後にはただ困惑するようになり、3か月目になると彼らの生態というものに”あきれ”つつも、割り切りというかたちで環境に順応していった。

 そもそも、彼らが「ワオンで支払いをします」などと決して言おうとしないことに問題があるのだ。赤ちゃんが「 ま ん ま !!」と名詞を叫ぶだけで「あらま~○○ちゃんおなかすいたの!ちゃんと言えてえらいでちゅね~!!」的な感じで都合よくそれを文章また感情表現として解釈してもらえるなんて、どうがんばっても通用しないことぐらいわかるだろう。しかしそれがスムーズに通じることが評価に繋がってきたりもする。

 残念ながら、本件と類似したパターンとしてタバコの銘柄を叫ぶ方(これについては補欠 「お前は日本語が読めないのか?」で触れる予定)、支払方法の選択でいちいち激昂する方などが一定数いらっしゃる。それじゃいかんでしょ。

 

 これ人間全員に言い聞かせたいし自分でも注意していることなのだが、何事に関しても名詞で会話が成立すると思わない方がいい。なにも客と店員間の話に限ったことではない。コミュニケーションの話である。「醤油!」と叫べば全員が全員手元にある醤油を取ってくれるわけではないのだ。醤油を取ってくれることは一種の「追加のサービス」であり、常にそれが普通のことではないということを忘れがちである。文構造を意識して話をすることが、円滑なコミュニケーションへの第一歩だろう。 いやここで啓蒙活動をしたいわけじゃないんですけどね。

 正直満面の笑みで「ワオン♥️」とか言われてもそれはそれで不気味であるし、私は別に客に愛想なんて求めていないのだ。求めてるのは文構造だけだ。

 というか、むしろ愛想を求められるのは往々にして我々である。スマイルを注文されなかっただけましだったと思いたいが、なんというか接客で働く者、こちらもこちらでなかなか難儀な者なのである。

クソ客と襟付きシャツと私 (本音)

 

 私は先日、人のあったかさでご飯がおいしい......というような内容を本ブログに投稿した。しかしこれは文章全体として体裁を保つための誇張表現であったことを詫びたいと思う。冷静に考えればわかることなのだが、それだけで3年間もやってこれたわけがないだろ。

 パワハラモラハラ、セクハラ、理不尽な要求、暴力、暴言、クレーム、天災、疫病、などの問題を「人のあったかさ」だけでカバーできるだろうか。実質的には、自分の精神健康上それの貢献度は1~2割程度であったと概算できるはずだ。

 ではほかの9割弱は何だったのかというと、暴飲暴食し、趣味に浪費し、友人に愚痴を聞かせた挙げ句に長時間睡眠をすることだった。それでもギリギリだったんだからQOLもクソもなかったのである。

 

「常識も分からないのか」「俺のために在庫残しておけ」「待たせたんだから安くしろ」

 もっとも、毎回これがあるわけではない。しかしこれに準ずるトラブルが頻繁に起こる職場だった。いくら「ありがとう」とか「おつかれさま」とか言って貰えたからって、理不尽な要求やわけのわからぬクレームを一度つけられてしまえば、金を貰っていようが結果的にはめちゃくちゃ損した感覚になるわけだ。

 

 思うに接客業とは、わざわざ敵と戦闘しておいて、コマンドとしては逃げることを延々と続ける感じと言うべきだろう。そんなバカなことがあってたまるかと思うところだが、店員は攻撃に転じることはほぼ不可能であり、わけのわからぬ者からの猛攻にただただ耐え続けるしかないのである。

 

 理不尽な体験をはじめ、自分に非がないが無駄に苦労した、とかそういう話をする度、自分の父親や上司には「良い経験になったろう」とか「成長できただろう」などと言われてきた。彼らは、私に理不尽なものを受容し、それが自分にとって価値ある体験だったと考えさせて、納得させようとしてきた。しかし本当にそれは今後役立つのか。人は、それをわざわざ体験する必要はないと思う。なにしろ私だって、そんな返しされても残ったものはやりようのない不服感だけなわけだし。

 

 こんなの「事例」として知っておくだけで十分だ。苦労して嫌な思いをすることはないのだ。そこで私はSNSから情報発信をすることで「事例」を提供することができるのではないかと思って、今まで色々ツイートしてきた。もちろん愚痴という側面もあったけど、少しでも現状を知ってほしかったのが大きい。それで反応までしてもらえたのなら御の字である。

 

 さて。ということで「アルバイト先にご来店されたなかなかヤバめのお客様について打線を組んでみた」という件(下部にあります)が、思いのほか反響があったので、それぞれのエピソードについてネタと自論を交えながらだらだらと書く企画を始めようと思っております。という話。

 入りきらなかったエピソードについては下部のほかにまだまだストックがある。まさに地獄だ。しかしそれゆえに、ここ数年をかけても絶対に完成するべき一大コンテンツなのかもしれぬという謎の使命感があるので、気づいたら更新していた謎コンテンツとして見て頂けるととっても嬉しい。普段は映画レビューとかしているし他に書かなきゃならん文章もあるので、この企画もといブログ自体不定期更新が続くのだが、ぼちぼちやっていきたいところである。

  なお、モチベ維持のため書きたいものから書くつもりである。順番は後でそろえるかもしれないが。

 

【私が対応した客の名言で打線】

 

1(二)おっさん等「オオン!ワオン!(咆哮)」

 

2(一)爺「さてはお前キチガイだろ(名推理)」

 

3(遊)おばちゃん「そこにマスク無いって書いてあるけどないの?(意味不明)」

 

4(三)おっさん「お前名前覚えたからな(迫真)」

 

5(中)爺「ポイント5倍入るって俺が聞いたんだから間違いなく入るだろ(天下無双)」

 

6(左)男性「ここからここまで全部(石油王)」

 

7(捕)中年男性「俺今からフジテレビ行くんだわ、羨ましいだろ?(台場)」

 

8(右)お兄さん「シールで(避妊具)」

 

9(投)幼女「おしごとたのしい?(真理の探究)」

 

~補欠~

中年男性「お前は平仮名も読めないのか(マウント)」

 

男性「お前のせいやんけ!!!(責任転嫁)」

 

孫「(嘔吐)」

おじいちゃん「おせんべい食べ過ぎたのかな笑」

 

女性「貴様、国民の税金を無駄にするな!!!(統失)」

 

おっさん「植木バサミないの?(見当違い)」

 

男性「お前は辞めろ死ね(直球)」

 

中年女性「こんなババア死んだ方がマシよって思ってるでしょ(躁鬱)」

 

【名誉監督】
店長 「君、発達障害持ってるでしょ?」

 

客と襟付シャツと私

 先日、3年間続けたアルバイトを退職した。レジ打ちや品出し掃除と雑に扱われ、身も心もボロボロになった、とか言うわけでもなければ、何か事件事故を起こしたわけでもなかった。円満退職である。辞めると言った当初こそ社員様には微妙な顔をされたものの、最後には笑顔で送り出して頂けた。

 

 私にとって初めての接客業、というよりそもそも初めてのアルバイト、むしろはじめての社会活動。不器用な一般学生である私であったが、あまり甘やかしてはもらえなかった。それを望んでいたわけではないとはいえ、泳げない者が海のど真ん中に投げ落とされたようなものなのだから、もちろん相応に手厳しいものであった。泳げない者は浅瀬でチャプチャプするところから始めるものではないのだろうか。水中で目が開けられたからといって、いきなり飛び込みはさせないだろう。 

 そうして半ば強引に飛び込まされた先は、いわば混沌を極めた戦場であった。私に降りかかった災難は数知れず、パワハラモラハラ、セクハラ、理不尽な要求、暴力、暴言、クレーム、天災、疫病、などなど挙げればキリがなく、思い返しても本当にろくなことがなかった。

 

 それでもやり続けたのは周囲の人の「あったかさ」があったからだと思う。店員同士で会話していると、今まで見えなかったものが見えてきたりする。そして自分の世界が広がっていく喜びがあった。お客さんに一言「ありがとう」とか「おつかれさま」とか言ってもらえるだけで「やりがい」が生まれる感覚があった。

 

 何かあって落ち込んだりしたときも、人の「あったかさ」に触れるたびに「しょうがねぇなぁもう少し続けてやるか」という気分になって。もうそれを何回やったかわからないのだが、気づいたら3年経っていた。乗せられやすい性格も、ここまでくれば長所である。なんだかんだ楽しんでいる部分もあったのかもしれない。

 

 長いようで短かったアルバイト生活。(ごく一部を除き)とてもお世話になった社員様に。とても頼りになった同僚の方たちに。応援してくれたり、愚痴を聞いてくれた友人たちに。そして私に「やりがい」をくれたお客さんたちに。本当にありがとうございました。

 

 さて、もう書くべきことは書いた。アルバイトの経験をちょっとした「人情苦労話」として語るなんて、おそらく私に求められているのはそういうことではないとわかりきっている。

 次からはTwitterで言ったように、「ろくなことがなかった」話を延々としていこう。

短編怪文書 流さないそうめん

短編不条理SF奇譚

流さないそうめん

 

「この店、そうめんが流れてないってのは本当なのかな」

「ここまで来てそんなこと言うのかよ、恥ずかしいだろ。いいかお前、ここは『そういう店』なんだって。」

 そう言って友人は、僕にぐいと週刊紙だかなんかの切り抜きを無理やり手渡した。

 

 「次に来るのは『流さないそうめん』!?そうめんのトレンドを探る!」

 時は2525年。"似非"日本文化は、ここ数百年の間で、原典である日本人の想像を遙かに超えるレベルでさらに巨大なコンテンツとして成長してきた。それに伴って肝心の中身は複雑怪奇を極め、いわば文化の魔改造が横行していくかたちとなった。その代表格が「そうめん」である。かつての人類が「寿司」を食べるために「回転寿司」なるもの、今となっては寿司が回るのか皿が回るのか、よもや座席が回るのか想像もつかない、わけのわからぬ飲食店をたびたび利用していたというのは有名な話であるが、現代においてそのわけのわからぬ複合エンタメ的な飲食店というポジションは「そうめん」という麺類が奪っていったのだ。今世紀は「流しそうめん」が外食チェーンの基本形のひとつとして位置づけられたのである。

 スライダーのようなレーンに沿ってそうめんを流し、客が自由にそれを取り、食す。これは飲食店の革命であった。人件費をはじめとした諸所のコストは低下し、その回転率の高さは経営面でも評価され、そして食べ物が すう と目の前を流されていくという言語化不能な「面白味」というエンターテイメント性を獲得した「流しそうめん」が、流行らないはずはなかった。事実、流行ったではないか。ファストフードが撤退し、その跡地に「流しそうめん」ができるなんて光景もよく見るようになった。

 今や街のそこらじゅうに「流しそうめん」が乱立し、有名店で修業したものが新しい派を開き、さらに信者を増やしていく。流しそうめんにより世界は繋がっていく。

 それによって、そうめんは世界に誇る日本の文化であるとよく言われるようになった。しかし今評価されている「そうめん」は複合文化の集合体でありいわばキメラであることを知るべきである。そうめんは元の姿を失いつつあるだろう。

 だからこそ我々は原点に立ち返り、流さないそうめんを求めるのである。

 

「この記事、ただの『流しそうめん』アンチの話にしか思えないなぁ」

「でも実際、俺たちもう『流しそうめん』は飽きただろ?だからこうやって敢えて『流さないそうめん』に来たんだ。けっこうな老舗らしいぜ、ここ。」

 僕たちが来たこの店は、時代に逆行する形でわざわざそうめんを流さずに提供するということで評判があるようだった。そうめんを流さないことによってコストの増加、エンターテイメント性の欠落があることは容易に想像できる。しかしそこに日常とかけ離れたレトロな雰囲気が演出されていると噂の「流さないそうめん」。店内は撮影禁止で、その実態は評判でしか掴めないという神秘性に、多くの人が集う。

 店の名前は「そうめん霧龍」。和を意識した作りの建物は、なるほどすっかり名店の風格だった。数人の客が距離を保って一列に並んでいるなかで、そうめんマニアである友人のうんちくを聞かされたり、携帯していた電子機器をいじったり、そうこうしている間に順番がやってきた。そうめんは流さないのに回転率は割といいようだ。

 ここまでくると僕もそれなりにはワクワクしてきたわけだ。未体験のものに向き合う時に感じる、少しの怖気と高揚感に胸を高鳴らせ、ガラガラと引き戸を開けて店内に足を踏み入れる。さて、流さないそうめんとは一体どんなものなのか。

 

 

しかし、そうめんは流れていた。

正確には、客の周りを囲むように設置された長いベルトコンベアの上を、皿に乗せられたカラフルなそうめん(1680万色)が次々に流れていく。

客はそれぞれ好きなものを選び取って、つゆの入ったお椀にキャッチアンドリリースして黙々と食している。

 

「いやこれはどう見ても『流しそうめん』だよな?」

さすがに言ってしまった。ナンセンスとわかっていても。

「おい何言ってんだお前、どう見てもこれは今ではなかなか見れねぇ『流さないそうめん』だろ、すげぇよ」

「いやでもさ、これってそうめんが……客の周りを流されてるわけだから……『流しそうめん』になるんじゃないか?」 

「は?そうめんが流れるレーンなんてどこにもないだろ。見ろよこのレトロなベルトコンベア。そうめんが回ってるだけでワクワクしちゃうよな」

回っている?これは流れていると言うのではなくて?僕はここで、ようやくこの大型機械の仕掛けに気づいた。奥の人間が皿にそうめんを乗せ、ベルトコンベアに乗せている。轟音を響かせ動くこの機械の正体はこれは大昔の日本文化「回転寿司」をリスペクトした「回転そうめん」であった。

 

「いや流してるじゃん、そうめん」

もう僕はそれしか言えなかった。

「どうですかうちの『回転そうめん』は。初期費用はそこそこかかっても、運用コストは安く済む。しかもそうめんが流れるんじゃなくて回るって。お客さん的には楽しいでしょう。うちの先代からこの機械はずっと受け継がれてきたってわけよ」

店の奥から、高齢の男性が突然出てきた。

「確かにうちはずうっと昔はね、手延べをモットーにやっとったみたいや。でもうちの先代もね、なんと言うか、時代の『流れ』っつうもんには逆らえなかったんですよ。」

「『流れ』ですか」

そう言うと男性はわざとらしく大きくうなずいた。

時代に流された結果、流すつもりが流されたってことか、そうめんってものは。なんと情けないことか。まぁ友人に流されてここまでホイホイ着いてきた僕が言えることではない。

 

諦めて席に着くと、頼んでもいないのに色とりどりのそうめんがどんどん流れてきた。どれにしようか、と考えるうちに通りすぎていく。

 

この店のスタイル、流されやすい僕にはピッタリだと思った。

最近やったゲーム「ホチキス」の感想

  映画のレビューをするために本サイトを立ち上げたのはもう3年前のことだ。その趣旨に沿うならば本来直近で観た映画である「武器人間」の感想を書くべきところだが、個人的な趣味に合わなくってあんまり乗り気がしないのでやめておこうと思う。

 

 ここでは先日話をした「キスベル」に続き、戯画キスシリーズの原点となった「ホチキス」をプレイした話、つまりエロゲレビューをしていきたい。


 本シリーズは、ゲームでありながら現実離れしすぎない雰囲気の中で、ヒロインとの学園生活を楽しむことを目的とした作品群だ。公式はこのジャンルを「イチャラブアドベンチャー」と名付けたうえで「キスシリーズ」としてオリジナルブランド(?)を確立した。

 先日プレイした「キスベル」がこのシリーズの2作目にあたる。しかしこれがどうも煮え切らない作品であった。ならば原点回帰ということでこちらを購入したわけだが、正直こちらもなかなかにコメントし辛い作品であった。というかそもそも「言いようのなさ」を書いていくのがここでの目的なのだ。

 

 まずその「なんとも言えないプレイ後感」を出した最大の原因は、共通ルートが冗長な割に、個別ルートに入って以降のシナリオが極端に短いことにある。主人公のセリフを8割吹き替えながらプレイしても個別ルートを終えるまでに3時間すらかからないというのはさすがに痛い。とくに私が攻略したヒロインの「奈々」は、他ヒロインと比較して関係性が特殊(後述)なことも一因となり、”くっつく”までのゴタゴタが共通ルートから地続きで展開された後、イチャイチャやイチャイチャ(性的な意味で)が両手で数えられる程度描かれて終わりを迎える。えっ。感覚的にはちょっと長めのエピローグ的な感じでルートが終わる。

 

 本作は、確実にシナリオで魅せる類のゲームではない。感動シーンの興ざめ感、思考回路がどこか吹っ飛んだ行動をとるキャラなどなど、随所に物申したいところは多いのだが、諸々の問題点はその尺の短さにも起因するはずだ……としてフォローしたい気持ちがある。しかし私先程冗長と言いましたし。ぐぬぬ、これはなるべくしてこうなってしまったものなのである。

 では本作は何ゲーなのか。シナリオでは売れぬ、またいかにヒロインを落とすかを楽しむ「ギャルゲー」(めちゃくちゃ語弊がある)でもなければ、エッチシーンを売りに出した「抜きゲー」でもない。ちなみにエッチシーンは3回、各3ラウンド(※実況内でこの言い方が定着した)。一回当たりの割りと尺は長めな感じ。あんまりエッチシーンだけ何回も挿入されるってのもなんだかなぁ、って思うタイプなのでこんなもんかなぁと。いや節操があったかは別なんですけどね。

で、「本作が何ゲーか問題」の結論としては、私個人はこれを「キャラゲー」なるものであったと評したい。キャラのかわいさひとつで勝負に出た作品だ、とか言っても過言ではないように思う。

 

 とはいえ本作でいちばん残念なところは、これを「キャラゲー」としたところで、それをやりきれなかったように感じられてしまう部分だ。今回攻略した奈々のポテンシャルは非常に高いのに、シナリオの中でそれを生かしきれなかった。

 

 そう感じる部分はとくに共通ルートにある。「幼馴染」を理由にいちいち悪態をつく奈々と、それに対してどこか掴みきれない(煮え切らない)反応をする主人公の歪な関係がひたすら描かれる。この時点では、言うなれば彼女はヒロインというより「生意気な妹分」であり、そのサブキャラ的ポジションからは絶対に抜けられないように思われて仕方ない。

 しかもシナリオライター、最初の方不思議ちゃんキャラをやらせようとして途中で挫折しただろ。「ぐっばいあでぃおす」あたりのよくわからんセリフ回し、私は忘れてないぞ。

 

 そんな共通ルートの奈々だが、(なかば無理やり)個別ルートに入ることで、主人公との関係性の変化・進展が起こり、ようやく彼女の魅力が見えてくる。「妹ポジション」から脱するために、いつも助けてくれた主人公に対して必要以上に強がり、不器用にもがくことから始まる個別ルート。しかし彼女は、自分の中で「手段と目的」が次第に変化していることに気づいてしまうのだ。なぜ自分は関係を変化させたいのか?この気持ちは好意なのか?と悩む様子がまたもどかしい。そうやって奈々の内面がわりとしっかり描かれていることには好感が持てる。長いけど。

 

 といった感じで諸々の葛藤を乗り越えて彼らは結ばれる。付き合うとなるとその関係性はこれまた一気に変わってくるわけで、今まで耐えたプレイヤーへのファンサービスともいわんばかりに彼女は主人公に対して甘えに甘える様子が描かれ、しかもそれがかわいいんだから、こっちは共通部分とのギャップにしてやられてしまう(※私は単純なのでそうやってうまく乗せられているが、実際キャラ崩壊とか受け取る人も多くいるとは思う)。

 もはやその関係はバカップルの一言に尽きる。知能レベルまで低下したかのようなやりとりが描かれるのは嬉しいやら疲れるやら。でも、やるならもっと早くから、こういうのでいいんだよ、という感じが否めない。しかしデレデレ。主人公も、私も。

 

 まぁ確かに本作はシナリオに粗が目立つし、展開も雑なことが多い。でも個別ルートに入ってからのカップルを描くシーンにはかなりこだわりがあるように思うし、そこがいちばん評価したいポイントだ。「同棲(実質)してるけどデートの時は待ち合わせにする様子」とか「ピロートークでめちゃくちゃイチャつく」あたりの描写の丁寧さにときめいてしまって、なんだかんだ嫌いになれない。イチャラブコミュニケーションの本領発揮である。

 そこまで描けるのは本作ならでは、もといこのシリーズならではの強みなんだろうか。ラブコメというジャンル、多分本作はそれにもあてはまるのだと思うのだが、そこに属する女性向け作品の多くは、「付き合った後の色々を描く」ことを趣旨にしているのに対して、男性向け作品の多くは「紆余曲折あって付き合う」ことを話のオチとして持ってくることが多い。

 私はかねがねそんな傾向がちょっぴり不満だった。そんな中で、本作は男性向けながらそこらへんの「いいとこどり」をしてくれているように感じている。

 

 見たかったものを見せてくれたように思う一方で、少しばかり期待しすぎてしまった気もする本作。前回同様ほどほどにのめりこんで楽しめたので、まぁ及第点としたい。何様だよって話なんですけどね。